和歌山県有田郡湯浅町大字湯浅字宮後1914鎮座 湯浅大宮 顯國神社
嘉永4年(1851年)「紀伊国名所図会後編」湯浅祭礼御輿渡御の図

顯 國 神 社 の 御 祭 神  

鎮座地 和歌山県有田郡湯浅町大字湯浅字宮後1914番地
主祭神
大國主命
須佐男命 
櫛名田姫命
建御名方命
沼川姫命
おおくにぬしのみこと
すさのおのみこと
くしなだひめのみこと
たけみなかたのみこと
ぬまかわひめのみこと
配祀神 金山彦命
菅原道真
素兎神
粂崎王子神
住吉神
少名彦命
三筒男神
國常立尊
市杵島姫命
かなやまひこのみこと
すがわらのみちざね
しろうさぎのかみ
くめざきおうじのかみ
すみよしのかみ
すくなひこのみこと
さんつつのおのかみ
くにのとこたちのみこと
いちきしまひめのみこと
若宮社 伊弉諾尊
伊弉冊尊
いざなぎのみこと
いざなみのみこと
若恵比須社 事代主命
豊玉彦命
豊玉姫命
大山祇命
ことしろぬしのみこと
とよたまひこのみこと
とよたまひめのみこと
おおやまつみのみこと
神明社 天照皇大神
豊受大神
蛭子神
水波能女神
あまてらすおおみかみ
とようけおおかみ
ひるこのかみ
みずはのめのかみ
稲荷社 宇賀魂命
祓戸神
瀬織津姫命
速開津姫命
息吹戸主命
速佐須良姫命
うがのみたまのみこと
はらへどのかみ
せおりつひめのみこと
はやあきつひめのみこと
いぶきどぬしのみこと
はやさすらひめのみこと
大國主命とは
大国主命は、須佐男命の六世の孫(旧事本紀では子供)で、出雲の主神です。
御別名として、次の様々な異名があります。
・大己貴神(おおなむちのかみ)
・葦原色許男神(葦原醜男,あしはらしこおのかみ)
・八千矛神(八千戈神,やちほこのかみ)
・宇都志国玉神(顕国玉神,うつしくにたまのかみ)
・国作大己貴神(くにつくりおおあなむちのかみ)
・大国玉神(おおくにたまのかみ)
顕国魂神(うつしくにたまのかみ)

「神」や「命」を語尾につけて神々は祀られていますが、「大国主神」と書いた場合は神格、「大国主命」と書いた場合は人格とされています。
稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)~日本建国

〔日本神話〕

昔々、大國主命という神様がいらっしゃいました。
大國主命は、八上比売(やがみひめ)という美しい神様と結婚したいと思う兄たちのお供としてついて行きました。
旅の途中、海を渡るために鮫をだまして毛皮を剥ぎ取られた兎がおり、兄たちは「海水を浴び風にあたれば治るよ。」と言いました。言うとおりにした兎の皮膚ひび割れ、あまりの傷みに泣いているところへ最後にやって来た大國主命は理由を聞き、「川で体を洗い、蒲草(がまくさ)をまとえばすぐに治るよ。」と言い、兎は教えどおりにし、体は元に戻りました。その行いを知った八上比売は、大國主命の妻になることを選びました。これに怒った兄たちは、大國主命を殺してしまい、それを悲しんだ母神は、二柱の姫神を遣わし、生き返らせました。

生き返った大國主命は、根の堅洲国(かたすくに)に行き、様々な試練を乗り越え成長し、兄達を従え、葦原のの中つ国をお治めになりました。しかし、大国主命が治めた国も次第に騒がしくなりました。その頃、高天原(たかまがはら)では、天照大神(あまてらすおおかみ)が我が子に葦原の中つ国を治めさせようと多くの神を遣わしますがうまくいかず、最後に建御雷神(たけみかづちのかみ)を遣わし、ついに大國主命は、中つ国を譲る決心をしました。

天照大神は、孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)高天原から降り、平和になった葦原の中つ国を守るように言いました。そして、邇邇芸命が降るときに、八尺瓊の勾玉(やさかにのまがたま)、八咫の鏡(やたのかがみ)、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)の三つの宝物を渡しました。これが三種の神器です。

邇邇芸命は、猿田毘古神(さるたひこのかみ)の道案内により天雲を押し分けて降って行き、筑紫の日向の高千穂の美しい山に降りたちました。そこに立派な宮殿を建てて住まいとし、木之花佐久夜毘売(このはなさくやびめ)という美しい神様と出会い結婚されました。そして、初めにお生まれになった御子を海幸彦(うみさちひこ)、最後にお生まれになった御子わ山幸彦(やまさちひこ)といいました。ある日、漁師になった海幸彦と狩人になった山幸彦は、互いの仕事を取り替えました。その時、山幸彦は、兄の大事な釣り針をなくしてしまい、それを探すため、海神宮(うみがみのみや)へ向かいました。そこで、豊玉毘売(とよたまびめ)という神様と出会い、結婚することになりました。

それから三年が経ったある日、山幸彦は海神宮に来た理由を思い出し、豊玉毘売の父神によって海中の魚を集めてもらい、ついに釣り針を見つけ出しました。そして、父神から水を操る宝を譲り受け、呪いを教わり地上に帰りました。そのお陰で、山幸彦は国を治めることができました。それから後、身ごもっていた豊玉毘売は地上に上がり、海幸彦の御子をお産みになりました。その時、元の姿が鮫であることを見られた豊玉毘売は、これを恥じて海神宮に戻り、地上に戻ってくることはありませんでした。

山幸彦の御子は、その後、玉依毘売(たまよりびめ)という神様と結婚し、お生まれになった四人の子の末子が後の神武天皇です。神武天皇は、安らかな地を目指して東の国に向かって旅立ちました。その途中、荒ぶる神の幾多の苦難を乗り越えられ、畝傍(うねび)の樫原に辿り着き樫原宮を建て、第一代の天皇の御位につかれ、この日本の基を築かれました。

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